「ア・プリオリ」と「ア・ポステリオリ」とは?カント哲学の認識論を分かりやすく解説
哲学書を読み始めると、「ア・プリオリ」や「ア・ポステリオリ」といった見慣れない言葉に出会うことがあります。これらは、18世紀のドイツの哲学者イマヌエル・カント(Immanuel Kant)が提唱した、私たちの知識や認識の性質を区別するための重要な概念です。
これらの概念は、私たちが何をどのように知ることができるのか、そしてその知識の確実性はどこから来るのかという、哲学における根源的な問いを考える上で不可欠な出発点となります。
ア・プリオリとは何か?
「ア・プリオリ」(a priori)とは、ラテン語で「経験に先立って」「先天的」といった意味を持つ言葉です。哲学においては、「経験から独立して認識されるもの」を指します。つまり、何らかの経験をする前から、あるいは経験することなしに、正しいとわかる知識や判断のことです。
ア・プリオリな知識は、その性質上、普遍的(例外なくどこにでも当てはまる)かつ必然的(必ずそうであると決まっている)であると考えられます。私たちが世界を認識する際の、基本的な枠組みや形式のようなものと捉えることができます。
具体的な例としては、以下のようなものが挙げられます。
- 論理学の法則: 「すべてのAはAである」といった同一律や、「PであるかPでないかのどちらかである」といった排中律など、論理的に導かれる真理は、経験に頼らずとも理解できます。
- 数学の真理: 「2 + 2 = 4」や「三角形の内角の和は180度である」といった数学の定理は、具体的な物を見たり数えたりする経験がなくても、その正しさが理解できます。これらの真理は、特定の経験によって変わることはありません。
カントは、ア・プリオリな認識が、私たちが経験を通じて得る知識に普遍性と必然性を与えるための基盤となると考えました。
ア・ポステリオリとは何か?
一方、「ア・ポステリオリ」(a posteriori)とは、ラテン語で「経験に従って」「経験的」といった意味を持つ言葉です。哲学においては、「経験に基づいて認識されるもの」を指します。私たちが五感を通して世界を観察したり、実験を行ったりすることで得られる知識や判断のことです。
ア・ポステリオリな知識は、経験に依存するため、一般的に普遍性や必然性を持ちません。ある特定の状況や条件のもとで真実であるとしても、他の状況では異なる可能性があります。
具体的な例としては、以下のようなものが挙げられます。
- 科学的な事実: 「水は100℃で沸騰する」という知識は、水を熱するという経験を通して得られます。もし地球上とは異なる気圧の環境であれば、沸騰する温度は変わるかもしれません。
- 個別の事象の認識: 「このリンゴは赤い」「外は雨が降っている」といった、特定の感覚経験に基づく判断もア・ポステリオリな認識です。リンゴの色や天候は、経験によって初めて知ることができます。
私たちの日常生活で得る知識のほとんどは、このア・ポステリオリな知識に分類されます。
カント哲学における「ア・プリオリ」と「ア・ポステリオリ」の重要性
カントが登場する以前の西洋哲学では、知識の起源をめぐって大きく二つの立場がありました。
- 経験論(Empiricism): ロックやヒュームなどが代表的で、「すべての知識は経験から生じる」と考えました。
- 合理論(Rationalism): デカルトやスピノザなどが代表的で、「理性による思考こそが確実な知識の源である」と考えました。
カントは、この二つの立場を統合し、さらに乗り越えようとしました。彼は、知識が成り立つためには、経験から得られる「ア・ポステリオリ」な要素だけでなく、経験に先立って備わっている「ア・プリオリ」な要素も不可欠であると主張したのです。
例えば、「太陽は東から昇る」という知識はア・ポステリオリな経験によって得られますが、その経験を認識するためには、時間や空間といったア・プリオリな形式が私たちに備わっていなければならない、とカントは考えました。私たちは、まずア・プリオリな枠組みを通して世界を認識し、その枠組みの中にア・ポステリオリな経験を整理して理解している、というわけです。
この「ア・プリオリ」と「ア・ポステリオリ」という区別は、カントの主著『純粋理性批判』において、人間がどのような知識を、どのようにして得るのか(認識論)、そしてその知識の限界はどこにあるのか(形而上学)を解明するための出発点となりました。
まとめ
「ア・プリオリ」と「ア・ポステリオリ」は、哲学、特に認識論を学ぶ上で非常に基礎的かつ重要な概念です。
- ア・プリオリ: 経験に先立ち、経験から独立して得られる普遍的・必然的な知識。
- ア・ポステリオリ: 経験に基づき、経験を通して得られる知識。
これらの概念を理解することは、カント哲学の深遠な世界へ足を踏み入れるための第一歩となります。また、私たちが日々得ている知識の性質を深く考察する上でも、この区別は大きな助けとなるでしょう。哲学書を読む際には、ある議論が経験に基づいているのか、それとも経験とは独立した理性の働きに基づいているのか、という視点を持つことで、より深い理解に繋がります。