哲学ことば解説室

「ア・プリオリ」と「ア・ポステリオリ」とは?カント哲学の認識論を分かりやすく解説

Tags: カント, 認識論, 形而上学, 合理論, 経験論

哲学書を読み始めると、「ア・プリオリ」や「ア・ポステリオリ」といった見慣れない言葉に出会うことがあります。これらは、18世紀のドイツの哲学者イマヌエル・カント(Immanuel Kant)が提唱した、私たちの知識や認識の性質を区別するための重要な概念です。

これらの概念は、私たちが何をどのように知ることができるのか、そしてその知識の確実性はどこから来るのかという、哲学における根源的な問いを考える上で不可欠な出発点となります。

ア・プリオリとは何か?

「ア・プリオリ」(a priori)とは、ラテン語で「経験に先立って」「先天的」といった意味を持つ言葉です。哲学においては、「経験から独立して認識されるもの」を指します。つまり、何らかの経験をする前から、あるいは経験することなしに、正しいとわかる知識や判断のことです。

ア・プリオリな知識は、その性質上、普遍的(例外なくどこにでも当てはまる)かつ必然的(必ずそうであると決まっている)であると考えられます。私たちが世界を認識する際の、基本的な枠組みや形式のようなものと捉えることができます。

具体的な例としては、以下のようなものが挙げられます。

カントは、ア・プリオリな認識が、私たちが経験を通じて得る知識に普遍性と必然性を与えるための基盤となると考えました。

ア・ポステリオリとは何か?

一方、「ア・ポステリオリ」(a posteriori)とは、ラテン語で「経験に従って」「経験的」といった意味を持つ言葉です。哲学においては、「経験に基づいて認識されるもの」を指します。私たちが五感を通して世界を観察したり、実験を行ったりすることで得られる知識や判断のことです。

ア・ポステリオリな知識は、経験に依存するため、一般的に普遍性や必然性を持ちません。ある特定の状況や条件のもとで真実であるとしても、他の状況では異なる可能性があります。

具体的な例としては、以下のようなものが挙げられます。

私たちの日常生活で得る知識のほとんどは、このア・ポステリオリな知識に分類されます。

カント哲学における「ア・プリオリ」と「ア・ポステリオリ」の重要性

カントが登場する以前の西洋哲学では、知識の起源をめぐって大きく二つの立場がありました。

カントは、この二つの立場を統合し、さらに乗り越えようとしました。彼は、知識が成り立つためには、経験から得られる「ア・ポステリオリ」な要素だけでなく、経験に先立って備わっている「ア・プリオリ」な要素も不可欠であると主張したのです。

例えば、「太陽は東から昇る」という知識はア・ポステリオリな経験によって得られますが、その経験を認識するためには、時間や空間といったア・プリオリな形式が私たちに備わっていなければならない、とカントは考えました。私たちは、まずア・プリオリな枠組みを通して世界を認識し、その枠組みの中にア・ポステリオリな経験を整理して理解している、というわけです。

この「ア・プリオリ」と「ア・ポステリオリ」という区別は、カントの主著『純粋理性批判』において、人間がどのような知識を、どのようにして得るのか(認識論)、そしてその知識の限界はどこにあるのか(形而上学)を解明するための出発点となりました。

まとめ

「ア・プリオリ」と「ア・ポステリオリ」は、哲学、特に認識論を学ぶ上で非常に基礎的かつ重要な概念です。

これらの概念を理解することは、カント哲学の深遠な世界へ足を踏み入れるための第一歩となります。また、私たちが日々得ている知識の性質を深く考察する上でも、この区別は大きな助けとなるでしょう。哲学書を読む際には、ある議論が経験に基づいているのか、それとも経験とは独立した理性の働きに基づいているのか、という視点を持つことで、より深い理解に繋がります。